坂道いっぱい~成人先天性心疾患~

成人先天性心疾患者です。治ってたと思ったのに、子育てしながら2度目の手術受けました。

育て直させてもらってます

「心臓病の子供を守る会」やSNSで、心疾患を持つお子さんの親御さんと知り合うことが増えた。

親御さんと関わらせていただき始めたころは、

「自分のこれまでの経験を伝えることで、少しでも不安を減らせたら」と思っていたけど、実際には自分がもらうことのほうが多いな、と思いました。

 

今強く思うのは、親御さんたちと関わることで、小さかった自分の育て直しをさせてもらっている、という事。

 

「子供がこう言ってるけどどうなのかな」「こういう時どう感じた?」

などの話をしていると、改めて当時の自分の感情をたどることができる。

今まで自分では深く考えなかった場面。

例えば、入院中面会時間を待っていた時、学校の体育の授業を見学していた時、もっと遊びたいのに「やめときなさい」と言われたとき。

自分では日常だと思って流していた感情。

それを、親御さんは「どう感じているんだろう」「どう話したらいいんだろう」と悩んでいる。悩んでくれている。

どれだけ深い愛情だろうか。

自分もそれを受けていたんだな。

少しでも参考になれば、と当時の自分の感情を思い出すことで、

当時やり過ごしてた感情を味わい、解消することができた。

 

特にそれを感じたのは、

「病気の事を理解しているはずなのに『なんでダメなの』と言われる」

という話を聞いたとき。

 

自分もそうだったな。

心臓が悪いから走っちゃダメ、水泳しちゃダメ。

よく分かっていた。でも、兄弟や友人がやっている中、自分だけ禁止されると、

「なんでダメなの!」と言って母を困らせていた^^;

『なんで』という言葉を使っているけど、理由は分かっている。

自分の病気の事も分かっているし、無理してでもやりたいわけではない。

ただただ、分かってほしかったんだ。

「あなたもやりたいよね。できなくて悲しいよね。」と共感してほしかったんだ。

 

それを思い出した時、悲しい気持ち、切ない気持ちもあふれてきたけど、

す~っと何かが晴れた。

30年前の自分を抱きしめて、寂しかったね、と言ってあげられたし、

イヤイヤ期の息子 の事も以前よりちょっと優しく受け止めることができた(と思うw)

 

以前仕事でカウンセリングについてを学んだ時に、アダルトチルドレンについてのワークをした。

(最近スピリチュアル界隈で盛んにアダルトチルドレンの話が出てくるのが解せない、、、が、話がそれてしまうのでそこには触れません^^;)

まさに今、親御さんと関わることで、当時の自分を抱きしめて育て直しさせてもらっているようだ。

本当にありがたい。

 

「辛い思いを思い出させてしまっているんじゃないか」と心配して下さった方もいた。

もう、どれだけ優しいんですか!!

 

自分の経験や気持ちを伝えることで親御さんの不安を少なくすることができれば、という思いは今も全く変わりません。

本当に個人的意見になりますが、先天性心疾患の元病児の一人として、お伝えできることがあれば、と思っています。

なので、聞き辛いことでも「こういう時どうしたの?」「どう思ったの?」と聞いてほしい。辛い思いを思い出す、と言うより、その時の感情を消化させてもらっています。

 

 

妊娠・出産について(2015・秋~2016.5月)

術後の日記ではなく、またも別の事を。

今回は、先天性心疾患を持ちながらの妊娠・出産について、私の経験を書いていこうかと。

 

成人してからの受診科

3歳での手術以後もずっと同じ総合病院(S病院)で検診を受けている。

18歳までは小児科、18歳以降は心臓血管外科で、

年に1度の診察と検査(心電図・レントゲン、心エコー)を受けていた。

20代後半の頃病院より「状態が安定している先天性疾患者は小児科でフォローすることになった」と言われ、また小児科に戻った。

妊娠出産時は小児科と連携してフォローしてもらった。

 

妊娠から出産まで

30歳、結婚の話が出てきた頃主治医の小児科医T先生に、

「結婚することになりそうですが、妊娠出産は可能ですか」

と聞いた。

当時、心臓に関して「先天性心疾患で手術して完治した」と思っていたので、妊娠も出産も問題なくできるだろうと思っていたが、

どこかでうっすら、「身体が持ちません」と言われたらどうしよう、という不安もあった。

 T先生は「問題ないですよ。もし妊娠した時にはすぐに相談してください。フォローします。」

 と言ってくれた。

 

結婚後4年がたち、妊娠が発覚。

個人の産婦人科での診断だったので、

「先天性心疾患で手術したことがある。今も定期検診に行っているS病院で出産したい。」

と伝えると、

「心臓の術後ならよくある。うちでも出産可能だよ。」

と言われた。

 

でも、心配性な私は頑として転院を希望し、紹介状を書いてもらった。

のちに、この判断をした自分を褒めてあげたい!!!、と思うことになる。

 

紹介状をもらい、S病院の産科へ。

心疾患について聞かれたので、

心室中隔欠損で手術で完治した。しかし、自然分娩に耐えられるのか不安だ。」

と言うことを伝えた。

産科主治医に「手術で完治しているなら問題ないよ」と言われた。

 

しかし、30年以上「無理するな」「心臓に負担をかけるな」と言われ続けた自分の身体。

そうそう、自然分娩でも大丈夫だろう、と楽観できない思考になっていたので、

小児科T先生に詳しく相談することにした。

T先生に相談すると「産科の先生とよく話し合ってみるね」と言ってくれた。

 

次の妊婦健診でさっそく主治医から、妊娠36週で予定帝王切開になると告げられた。

妊娠30週を超えると、血液循環量が大幅に増える。

私の今の心臓の状態では、血液循環の増加に臨月までは耐えられないだろう。

心臓が耐えられるうちに帝王切開をする、 と言うことだ。

 

私は、出産時に心臓に負担がかかるんだろうと思っていたが、

妊娠中から大変な負担がかかるようだ。

そして、その負担に自分の心臓は臨月まで耐えられないかもしれない。

 

深刻に考えず心疾患の事をしつこいまでに訴えず「普通の妊婦」として過ごしていたら、と考えたらゾッとした。

 

 

それからは、産科主治医と小児科T先生が連携してフォローしてくれることになった。

 妊娠中期くらいからは1~2か月おきにT先生の心エコーを受けた。

心エコーでは私だけでなく、胎児心エコーも行った。

胎児が先天性心疾患を持って生まれる確率が普通の人より高いからだ。

T先生は「高いと言っても、ほんの少し上がるだけ。遺伝ではなく、体質や体の造りが似るからね」と言っていた。

 

この胎児心エコーは保険適用だった(もちろん私のエコーも)。ありがたい。

 

 

妊娠中、せき込むほどの動悸が出たりむくみが出たりしたが、

大きく体調を崩すことなく帝王切開の日を迎えた。

臨月前の出産で子供が2500グラム以下と予想されていたため、

保育器が用意されていた。

2300グラムで出てきた息子は思いっきり大きな産声を上げ、

主治医が「元気だから保育器いらないね」と苦笑していた。

 

生後2日で、息子は最後の心エコー。

T先生から「ばっちり、健康な心臓ですね」と言われ一安心。

私に似ず(笑)健康そのものの心臓で生まれてくれた。

 

私も、出産翌日から歩いたり授乳したり、

他の妊婦さんと変わりなく順調に回復した。

 

妊娠出産を経験して、伝えたい事

先天性心疾患を持って、妊娠出産を考えている方、将来考えることになるであろうお子さんをお持ちの方に伝えたい事。

それは、

心臓の主治医とよく相談をする事、自分の病状をよく理解しておく事、だ。

 

私はずっと「完治」と思っていたが(と言われていたし)、軽い弁の漏れや狭窄があった。

日常生活に支障はなかったが、妊娠出産では大きな問題になることだった。

 それを知らずに「手術済みです」とだけ説明してしまっていたので、

帝王切開が決まるまでに何度かやり取りが必要になってしまった。

 

また、先天性心疾患の専門医でない、他の科の医師から、

「よくある心疾患だから大丈夫」と言われることがある。

この言葉、何度言われた事だろう。

でも、人それぞれ病状も違うし、

心臓に奇形があると言うことは、心臓や血管の造りが健康な人と違うことがあるそうだ。

だから、過信をせず、心臓の主治医とよく相談し、

妊娠、出産を進めてほしい。

 

 

 

手術の傷について思うこと(幼少期~)

入院の話から離れ、心臓手術の傷についての自分の思いなどを書きたいと思います。

 

物心ついた時から、胸元にあった傷

1度目の手術は3歳10か月の時。

物心ついた時には私の胸元、鎖骨少し下~みぞおちまで約20センチの傷跡がついていた。

逆に言うと、傷のないキレイな胸元は見た覚えがありません。

 

小学校低学年の頃、プールのために着替えていると「傷見せて!」なんて言われることも。

子供はストレート!

元来お調子者なので「ほら!すごいでしょ!」とか言って見せちゃう子だった。

 

そう、気にしたことがほとんどなかったのです。

 

それが、少し気にするようになったきっかけが、ドキュメント番組。

高校生の頃かな同じように先天性心疾患の人が出ていて、ひどく傷を気にしていた。傷のせいでいじめにあったりもしていた。

それを見て、

「これってそんなに気にしなきゃいけない事なんだ」

「他人から好奇の目で見られることがあるんだ」

とショックを受けた。

 

見えないように気にしなきゃいけないかな、と思ったり。

ほんの少しの間悩んだけど、まぁ今まで何か言われたわけじゃないし、このままでいいや、という結果に至り、

その後もあまり気にせずに暮らしている。

 

それでも、

下着の試着する時に店員さん困るかな、とか、

着られる水着選ぶの難しいな、とか、

ちょいちょい頭をよぎるけど、

堂々と試着して下着買ってるし、

ベアトップでがっつり胸元あいたウェディングドレスで結婚式を挙げた。

(水着は太ってるので着たくない(*_*;)

 

 

先天性疾患を持ち、小さい頃に手術をした(する)子をもつ親御さんが、

傷についてすごく悩まれているTweet等を見ることがあります。

親御さんの悩みは当然です。

でも、当人は全く気にしなかったという事例(=私)もある。

それが、外からの声(メディアや周囲の人)で初めて気にしてしまう、と言うことも。

私はあの時あの番組を観なかったら、もっと気にせず暮らしていたのかな、と思ったり。

 

私は親から、傷については何の説明もされたことなかった。

「心臓穴空いてたから手術した」という、我が家で定番となっている説明のみ。

それでも、いや、だから、特に気にせず今まで来られた。

 

私個人の考えですが、

本人が気にしていない時は、あまりフューチャーしなくて良いんじゃないかな、と。

本人が気にして悩んだ時に、フォローしてあげてほしい。

 

とはいえ、病状も傷も考え方も様々。

こんな経験、こんな考えの人もいる、くらいで読み流してください(^-^;

 

 

 

 

 

 

 

 

手術室とICU

手術当日

前日夜に飲んだ下剤の効果が続いていて、何度もトイレに通う。

手術室行ってもこのままだったらどうしよう?なんて下らない心配をしてみた。

手術は9時から。

8時30分に手術着に着替え、45分に担当看護師さんと夫と三人で歩いて手術室へ向かった。

テレビみたいにベッドで運ばれ「頑張ってね!」って家族が走って寄り添って、っていうんじゃないんだね~

帝王切開の時はベットで移動だったね~なんて話しながら、

エレベーターに乗って手術室のある階へ。

 

エレベーターを降りるとすぐに手術室。

手術室の担当看護師さんが迎えてくれた。

「じゃあ、行きましょう」と促され、扉が開けられる。

夫が不安そうな顔で「頑張ってね」と言った。

私は「頑張るのは先生たちだけどね」と笑いながら言って入室した。

 

手術室の前室?のような部屋に入ると、パイプ椅子に座らされる。

眼鏡を看護師さんに渡し、本人確認(名前と生年月日)と昨日聞かれたアレルギーの有無等々の質問をされる。

手術を担当してくれる小児心外チームの先生方、麻酔科の先生方も周りを取り囲んでいたけど、

眼鏡を外してしまっているので、個人の顔の特定ができない。

執刀医(主治医)ももう登場していたと思う。

 

麻酔がかかるまで

質問が終わり、前室(正式名なんていうんだろ?)から歩いて手術室へ。

古い病棟だからか、若干くねくねした導線。

看護師さんが手を引いてくれたが、

眼鏡がないので視界がはっきりせず、躓きそうになりながら移動。

 

手術室は思ったより広い。

目の前少し進んだところに緑色の手術台。

その足元方向にたくさんの機材が置かれているのが見えた。

先生方や看護師さんなど、たくさんの人がそれぞれ準備をしている。

 

手術台に進み、台を使って自分で上る。

上る、という表現が適しているように、手術台は高かったし、細かった。

「上れるか?そして落ちないか?」

と若干不安になるくらい。

 

手術台は思いのほかふっかふかで温かかった。

パッと見すごく無機質な手術台がこんなにふかふかだとは!

なんだかすごくほっとした。

触感、温感って気持ちへの影響大きいんだな、と思った。

 

「麻酔科の〇〇です。」と麻酔科の先生が枕元で話しかけくれた。

「緊張してる?でも大丈夫。寝て起きたら終わってるから。

 これからマスクかけるから、ゆっくり息をしてね。」

と言われてマスクがかけられる。

先生が「1、2、3、、、」と数を数える。

『すぐ効くんじゃないんだな』なんて思ってマスクと先生の手を見ていたら、

ものの数秒で視界がぐにゃ~っとしてきて、

その後すぐに深い眠りについた。

 

 

ICUで覚醒

「起きてください~終わりましたよ~!」

主治医に力強く肩を叩かれ、ちょっと大き目な声が飛び込んできた。

目を開けると主治医が、

「手術はばっちりうまくいったよ。大丈夫。人工弁も使わずにできたからね。」と続けた。

『はい』

と答えながら、

 

あ、生きてるんだ、良かった、とか

人工呼吸器つけたままだと苦しいって聞いてたけど、外れた後起きて良かった、

思ったより切ったところ痛くないんだな、とか

 

思いのほか冷静にいろんなことを考えていいた。

何時ですか?と聞くと、夜の12時と言われた(と思う)。

覚醒直後でハイテンションになっているのか、

傷の痛みは感じなかったし、息もできないほどの苦しさ、しんどさはない。

しかし、身体は重いし背中や肩がバッキバキに感じる。

とてつもない疲労感を感じ、頭はボーっとしている。

 

しばらくすると、枕元にICUの看護師さんが来た。

喉が激しく乾いていることを伝えると、

麻酔が覚めてすぐなのでまだ水を飲むことはできないので、と、

小さなスポンジに水を含んだもので口を潤してくれた。

とてもとても気持ち良かったが、おますます喉が渇いた。

「後2時間待ってね」と言われ、しばらく眠った。

目を覚まして「しばらく寝たからもうそろそろ時間かな」と思い、看護師さんを呼ぶと、

「残念!まだ5分しかたってないよ(笑)」とまたスポンジをくれた。

 

5分!!!

この調子で2時待つのか、と絶望した。

 

早く時間よ経て、と思い過ぎて眠れない。

喉が渇く。早く水を飲みたい。

水が欲しくて欲しくて「すみません、誰か、、、」と言っていた気がするが、声になっていなかったと思う。

 

ぼーっと、うとうととしていると、また看護師さんが来て、

「これでむせなかったら、水飲めますよ」

と小さな紙コップを持ってきてくれた。

時間の感覚が全く分からないが、どうにか2時間たったようだ。

ベットの頭があげられ、水を受け取り、一口飲む。

 

飲めたのを確認して、残りの水を飲むのを許可された。

冷たい水がこんなに美味しいとは!!!!

本当に、今までで一番おいしい飲み物だった。

 

すぐに次の水を欲すると、

「水分制限があるから、あまり飲めないからね。ゆっくり飲むには、氷の方がいいかも」 

 と氷を口に入れてくれた。

これまた、とてつもなく美味しく感じた。

氷の美味しさに感動した。

 

深夜だから室内は暗く、でもあまり眠気はこない。

暗い中、はっきりしない頭でぼーっとしているのが嫌で、

早く朝になれ、早く朝になれ、とばかり思っていた。

 

 

手術入院~入院3日目、4日目~

入院3日目

土曜日と言うことで、検査等はなし。

この日は朝夕の回診だけで予定もないので暇だった。

本当は1泊だけ一時退院して家で過ごすつもりだったが、息子が風邪をひいてしまったため、一時退院はキャンnセル。

風邪がうつったら手術できなくなってしまう。

息子に会いたかったし、家でゆっくりお風呂に入りたかったがしょうがない。

 

朝食後、主治医I先生が回診に来た。

「調子どう?元気そうだね~」

I先生はいつも優しくフランクなので、回診に来てくれるととても安心する。

看護師さんたちもみな「I先生は小児心外だから、優しい!」「めったに怒らない」と言っていた。

 

病棟の看護師さんは20代からベテラン4・50代まで幅広く、みなさんとても話しやすく明るく元気!!そして美人が多い!!

入院生活についての質問から恋バナまで、色んな話ができて本当に楽しかった!

看護師さんたちとお医者さんたちの会話も多く、

お互い冗談を言ったり、意見を言い合ったりしている様子を見ると、関係の良さが伝わってくる。

 

でも、20代後半以降の看護師さんが口を揃えて「医者とは結婚しない」と言っていたのが気になるが(*_*;

ナースとドクターの恋愛事情、すごく興味わく!!

 

入院4日目

日曜日。午後の回診以外特に予定なし。

夫が持ってきたワイヤレスイヤホンの使い勝手がとても良い。

タブレットを持ち込み、動画を見たりテレビを見ていたが(テレビカード対策!)、有線のイヤホンだとホルター心電図のコードと絡んでうっとうしかったのだ。

 

手術目前の気持ち

 

まさに手術目前となったのだが他人事のように平常心だった。

これまでたくさんの看護師さんやお医者さんからいろんな説明を受けたが、全て「手術成功して生還する」ことが前提の、術後の生活の事だった。

それがとても安心できた。

生きて帰ってくること前提。なんだか少し笑えた。

 

全く「死」について考えなかったわけではない。

成功率は高いとはいえ、全麻酔で一度心臓を止め人工心肺を使う手術。

そのまま目覚めなかったら、、、

テレビを見ているとき、眠る直前、など、ふとした時に「死ぬってどういうことだろう」という思いが頭をよぎった。

 

手術中に死んだら、痛みはないから私自身は苦しみはない。

息子に会いたいという思いもなくなっちゃうのかな。

なんの感情もなくなるのかな。

私が今こんなことを考えている、と言うことすら、何もなくなるのかな。

そもそも「なくなる」ってどう言うことだろう。

 

悲しみでも恐怖でもなく、何とも言えない禅問答のような感情だった。

 

息子への思い

一方で、毎晩の息子とのテレビ電話の後は、どうしても切なくなって涙が出てきた。

まだおしゃべりができない2歳の息子。

母子手帳の2歳のページに「いっぱいお話ししたいね」とメッセージを書いた。

息子が話せるようになったとき、自分が息子のそばに入れる事。

それは、手術が成功して、一緒に生きていけること。

当時の私の最大の夢だった。

 

テレビ電話の向こうで、私に遊んでほしくて、大好きな絵本を画面に向けて差し出したり、

ん!ん!とページを示して歌をせがんだり。

息子は私が一緒にいないことを認識しているのか?まだ認識できていないのか?

それでも、いつも通りにこんなに私を欲してくれてる。

たまらなくかわいい笑顔を向ける息子。

なぜ私は今、彼の横にいないのだろう。

いつもの家の中のいつもの生活。そこに自分がいられない。

息子抱きしめてくせ毛を触ることもできない。

 

愛おし過ぎて、恋し過ぎて、悔しくて、切なくて。。。

絶対にもう一度息子を抱きしめよう、と誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術入院~入院2日目~

(この日から入院中のメモを参考に、時間ごとに書いていきます)

 

8:00 教授回診

Y教授の回診。小児心臓外科の教授回診は毎週金曜日のようだ。

主治医I先生他数人同行していたが、個別のカーテンの中に入っての診察は教授だけ。

Y教授は優しい口調であいさつをし心音を聞いていった。

同室の患者さんはみな成人の心臓外科管轄なので、小児心外の回診を受けるのは私だけ。

 

回診後、看護師さんが予定を告げに来てくれた。

今日はMRI、脈波の検査とリハビリやICUの説明がある。その合間にシャワーの予約をした。

 

9:20 心臓リハビリの説明

循環器内科の先生が来て、術後の心臓リハビリについての説明を受ける。

術後は早々に立ったり歩いたりのリハビリがあるようだ。

 

 10:00 脈波検査
11:00 ICU説明

ICUの看護師さんが来て、ICUについての説明を受ける。

ICUに持っていくものは事前に用意しておくよう言われる。

「テレビあるのでテレビカード持っていきましょう」と。

テレビ見れるんだ~なんかちょっと安心。

説明後、ICUを少しだけ見ることができると言われたので、見に行った。

物々しい扉と機械の数々にちょっと怖くなった。

 

14:00 脳のMRI検査
16:00 小児心外医の回診

若くて明るい女の先生が来てくれた。

手術の説明などをもう一度聞く。

「1度手術してるので、骨に心臓ついてるかもなんで、慎重にはがします」みたいなことを言われる。

骨に、、、心臓、、、ついてる!?どういうこと!?

「すごいですよね~ついてるんですよ(笑)」と言われたが、想像ができない。

人間の身体ってすごい。

19:00 主治医回診

夕食後、同室の方たちとわいわい談笑していたら小走りでI先生が現れた。

「元気そうだね!」と少し笑いながらまた小走りで消えていった。

就寝

睡眠薬を処方されたが、全く眠くならない。

音を出さなければテレビは何時までつけていてもよいとのことだったので、遅くまでテレビかけていた。

少し眠っても1、2時間ごとに起きてしまい、朝4時半には完全に目が覚めてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術入院~入院初日~

 

 ついに手術入院

 

2018年8月下旬、手術に向けて入院した。

術前5日、術後2週間の入院の予定。

 


案内された病棟の名は
「高度心臓血管センター
なんかものものしい。。。

6人部屋の病室には、20歳の女子大生1人と70代~80代の女性3人、そして私の5人となる。

 

蓄尿と麻酔科外来

 

 

荷物を置いて早々に蓄尿の説明。

これから24時間、トイレに行くたび尿を専用パックにためていく。

と言うことは、丸1日このトイレしか使えない。

「失敗したら最初からになります」と笑顔で恐ろしいことを言われる。

妙なプレッシャーを感じる。

トイレのたびにカップに採尿するのも、1日中だとさすがにとっても面倒になってくる。

 

その他入院の説明を聞きパジャマに着替え、麻酔科の外来へ。

全身麻酔での手術と言うことで、麻酔科医の診察があった。

口の中を見て差し歯の有無などを聞かれ、術後せん妄についての説明を受ける。

 

動脈採血

 

 

病室に戻ると、動脈採血をするので処置室へ呼ばれた。

太ももの付け根からの採血と聞き、恐怖でいっぱいになる。

主治医I先生が登場し、採血。

看護師さんから「チクッとするくらい」と聞いていたが、針が入ってから何度もぐりぐりされている感覚。気持ち悪いし痛い。

涙目になりながら終了。

血管が遠い位置にあったらしく、針の長さギリギリだった、と言われた。

そんなに深く刺したの!?

 

インフォームドコンセント

 

 
夕方、夫とともI先生からにインフォームドコンセントを受ける。

全身麻酔で開胸し、人工心肺を使用する手術。

肺動脈弁付近の筋肉の塊を切除し、僧帽弁の弁輪を縫縮する。

その際、3歳の時の心室中隔欠損の手術箇所も詳しく調べ、漏れなどがある時は治療するとのこと。


手術は午前9時開始、19時過ぎにICUに戻ってこられる予定で、
麻酔から覚醒するのは当日夜中か翌日朝らしい。
思ってたより長い(-_-;)


二度目の手術ということで、

癒着を剥がすのと、治療後心臓周りの止血をするのに、
それぞれ2~3時間かけて丁寧に行うそうだ。

形成術を考えているが、実際の心臓の状態により、人工弁や人工弁付き人工血管へ置換する可能性もある。

その際、人工弁は生体弁を使う予定とのことだ。

 

手術・輸血・静脈カテーテル・ICUや術後せん妄時の拘束など、大量の同意書を渡される。

 

初日の夜

 

夕飯後、談話室に行き息子とテレビ電話をした。

2歳になったばかりの息子は、言葉が出るのが遅くまだほとんどおしゃべりをしない。

それでも、少ない言葉や仕草ではっきり意思を伝えようとする。
画面の中の私のほっぺたを、ぶー!っと潰そうとしてキャッキャと笑う息子。

私の心配をよそに、母がいなくても、パパとばあばと楽しく過ごしているようだ。

安心したが、急に離れて寂しいのは私のほうかもしれない。

かわいくて恋しくて泣けてくる。



センチメンタルになりながら病室に戻ると、
同室の70代マダムに声をかけられ、少しおしゃべり。
そしてそこに女子大生も加わり、ワイワイ女子トーク

マダムは私より1日先に手術、女子大生は術後10日でもうすぐ退院が見えてきたとのこと。
「ドレーンが抜けたら楽になります!3日の辛抱です!」
と明るい笑顔で言ってくれたので、すっごく勇気が出た。
ありがとう若者。