経食道心エコーと手術日決定~2018年7月~
ついに経食道心エコー
ついに恐怖の経食道心エコーの日が来てしまった。
僧帽弁の動きを詳しく検査し、僧帽弁も手術すべきかを考えるということだった。
夕方からの検査だったので、お昼から絶飲食(だったと思う)。
検査後は麻酔の影響が残っていてふらつくだろうから、必ず付き添いと一緒に来院するように言われており、夫に同行してもらった。
麻酔
エコー室に入り、まずは腕に点滴のルートをとる。
ここから眠くなる薬を入れてくれるそう。
エコー担当の女医さんに「絶対眠らせてください!」とまた懇願。
「お酒結構飲む?お酒飲む人はこの麻酔あんまり効かなかったりするんだよね~」
お酒が好きで、心臓の異常指摘されるまで、毎日晩酌してましたが、、、
麻酔が効いてくれることを祈るのみ。
透明なゼリーのようなジェル状のものが入れられた小さな紙コップを渡される。
喉の麻酔だ。
これを口に含み、飲み込まないように喉にためて麻酔をする。
少し苦みが広がる。通ったところが熱くなるような不思議な感じがする。
喉にためておくのは気持ちが悪いが、我慢できないほどではない。
しばらくして吐き出し、喉の麻酔は完了。
ベットに寝ころびマウスピースを咥える。
「麻酔の点滴入れてきますね。薬が入っていくとき少し痛いかも。」
と言われ、痛いのいやだな、と思ってるうちに眠っていた。
エコー本番
激しくむせて目が覚めた。
管でよだれを吸い取っていたようだ。
酸素が下がっていたようで一旦麻酔が切られ検査を中断していた。
何度も吸い取られるのが、むせてとても辛い。吐きそうになる。
何度か吸い取るのを繰り返され「また薬入れるよ。もう少しで終わります。」と言われ、眠りにつく。
心エコー終了
「起きてください~終わりましたよ。」という先生の声で起こされる。
「気分悪くない?」と聞かれたが、どこかフワフワしてちょっとテンションが上がっていた。
「大丈夫です。いや~終わってよかったです!」などと笑って話していた。
麻酔が完全に切れるまで隣の部屋のベットで30分ほど休み帰宅した。
検査結果
後日主治医I先生の診察。
心臓外科・小児心臓外科・循環器科の合同カンファレンスで、やはり僧帽弁の動きも悪くなっているので、一緒に手術で治したほうが良いとの意見が多いとのこと。
私自身も、どうせ切るんだから一気に治してもらいたい。
と言うことで、右室流出路再建術と僧帽弁形成術を行うことになった。
後は手術日が決まって手術を受けるのみ!
しかし、手術の予約がすぐにはできなかった。
私の手術を執刀してくれるのは、I先生はじめ小児心臓外科チーム。
もちろん普段は小児の患者が大多数。
小児心臓外科では夏休みに合わせた手術が多いそうだ。
授業や学校生活に影響が少ないよう、
学校が長期休み手術を行い、休み明けに学校に復帰する、という日程だろう。
そのため、夏休み期間中に手術ができる空がなかったのだ。
夏休みに子供たちが頑張っている。
大人の私がへこたれてる場合ではない。
子供たちが頑張った後に、私も頑張ろう!と思った。
同じ心臓病で戦っている子供たちから勇気をもらった。
そして私の手術日は8月末に決まった。
手術5日前から入院し、経過が良ければ術後2週間での退院という予定だ。
退院、そして手術までの育児~2018年6月 ③~
検査入院からの退院
カテーテルを通した左手首の圧迫と固定の痛みで目が覚めた。ついつい動かしてしまう場所だからか、固定時間が長くなると痛みが出てきた。想定外だった(*_*;
朝食後循環器内科のT先生が診察に来てくれた。止血できていたのでエアーと固定を外してもらう。
「僧帽弁の状態を詳しくみたいから、後日経食道心エコーします」と。
辛いと噂に聞いていた経食道心エコー。やはりやるのか。
痛いですか?と聞くと、胸元の3色ボールペンを取り出して、
「このペンくらいの太さのカメラを口から飲んでもらいます。胃カメラ苦手?胃カメラより辛いんです。眠ることもできるけど。」と。
だいぶ太いもの飲むじゃないですか!!
もちろん「絶対絶対眠らせてください!!!」と懇願した。
退院、何度か検査や診察をして、早々に手術を受けることに。それまでは自宅で要安静。もちろん自転車もダメ。
どこまで生活を制限すべきなのかとても不安だと伝えると、
「本当にすぐどうにかなる人は退院させません。検査である程度分かったから薬も出せる。無理をせず、ゆっくり過ごしてください。」
と言われた。
ゆっくり、、、2歳児とゆっくりなど無理です。。。
退院後の生活
息子は7月初日からの保育園入園までは、毎日一時保育、その後7月から隣の地区の保育園へ入園した。
抱っこもダメ、と言うことで送迎は夫が通勤時に行うことに。
ママ大好きで私にべったりな息子は、突然私と離れた生活になり、毎日泣きながら登園。
息子と夫がいなくなった静かな部屋で、私のせいで寂しい思いさせてごめん、という思いが募る。
家庭内の育児も、お風呂など体力が必要なものは全て夫に任せた。夫は元々家事育児を率先してやってくれていたので、安心して任せられた。
抱き上げることも控えた。
当初若干戸惑っていた息子だが、すぐにパパっ子になった。
ママじゃなきゃいや!ばかりだったのに、パパじゃなきゃいや!ばかりになった。
手術での長期入院中など、私の不在を考えるとパパっ子のほうが良いことは分かっているのだが、寂しくてしょうがなかった。
どこかで「母親失格」と言われている気分になっていた。
検査結果と保育園~2018年6月②~
検査終了
心臓カテーテル検査が終了し、止血をされ病室へ。
エアーのついた止血バンドをして、手首は装具で固定され動かせないように。
止血の様子を見て数時間ごとに空気を抜いていく。
透明な止血バンドなので、傷口が見える。と言ってもほんの小さな針の痕。エアーがパンパンなので少し痛いがそんなに苦ではない。
部屋で少し休んでいると、夫が見舞いに来た。そしてほどなくしてT先生も登場。
たぶん手術になるだろうと言うことは、主治医I先生からもT先生からも言われていたので、だいぶ覚悟はできていた。
しかし、検査結果は思ったより良くなかった。
「今まで何もなかったのが幸運と思うほど。突然何かあってもおかしくない状態。手術が必要だし、それまでは自宅で絶対に安静にしていて!自転車も重いものを持つのも禁止!」
優しくも、シリアスに言われてしまった。
「詳しくは主治医のI先生と後程説明に来ますね」とT先生は立ち去ったが・・・
体重10キロの動き回る元気いっぱい2歳児を抱えて日々坂道を自転車で爆走してるのですが(-_-;)
それを禁止とは、、、私と息子はどうすれば?
居住地区の保育園
入院手術の話が出てすぐに区役所に保育園入園について相談していた。
区内が数地区に分かれており、居住地区で送迎可能な保育園の空きが1つあった。区役所にその保育園への入園希望を伝え、早々に見学に行っていた。
息子の所在について、少しだけ光が見えたと思っていた。
しかし、見学に行くと「実は1枠の空き、埋まってしまったんです。緊急の事案が入って。」
え??どういうこと?なら見学来る前に教えて欲しい。
しかし、区役所からそう言われたわけではないし、少しばかりの希望はあるのでは、なんて、思いつつ、検査入院の日を迎えていたのだ。
保育園落ちた
T先生から検査結果を聞いて落ち込んでいるときに、区役所からの連絡があった。
やはり希望していた保育園は枠が埋まってしまい、入れない。地区内で送迎可能な保育園に空きはない。
「枠があると言ってたじゃないですか。検査結果が悪く、自宅保育が難しいんです。どうにかならないでしょうか。」
落ち込みに追い打ちをかけられ、八つ当たりと分かっていながらも、怒りで若干声が震えてしまった。
担当職員は親身に対応してくれ、地区外だが車で送迎可能 で空きがありそうな保育園を3つほど教えてくれた。
「地区外ですし、ご自分で現在の募集等について問い合わせて頂き、決まり次第またご連絡下さい。」
との事だった。
そこから、夫と手分けして病室で各保育園に電話で問い合わせ。
空きはあるのか。来月には入園し毎日通わなければならないが、今月の残り半月はどうしたらいいか。夫の勤務時間まるまる預かってくれるところなのか。
聞かなければいけないことはたくさんある。
電話しながら「私、ベットの上で何してるんだろう。心臓危ないって言われた直後なのに、自分の体心配する余裕もない」と、なんだ少し笑えてきた。
一つの保育園が「そういう事情でしたら、喜んで協力します」と言ってくれた。
当時一時保育で使っていた保育園も、翌月の入園まで毎日預かってくれることになった。涙が出るほど嬉しかった。
検査結果
保育園に問合せ電話をしていると、T先生が主治医I先生と一緒に部屋に来た。
「保育園落ちたんで保育園探してるんです。少し待ってください。」
混乱しすぎてそんなことを言って、先生たちを待たせてしまった。
電話が終わり、I先生から検査結果が伝えられた。
CTやカテーテルの画像を見せてもらう。
肺動脈弁付近に筋肉の塊ができているのが、CTの映像ではっきり見えた。これを手術で取り除かなければならない。手術は胸の真ん中を切る正中切開。
3歳の時以来、人生2度目の正中切開手術だ。
手術が2度目ということで、一般より少しだけリスクは高くなるが、成功率は高い手術とのことだ。
僧帽弁の閉鎖不全もみられるが、手術が必要な程度かどうかが難しいところ。追加検査をしてカンファレンスをし、同時に手術するか決める、とのこと。
「胸、ぱっくり切らなきゃだめですかね?」と聞くと、
「今の医療だとカテーテル治療とかは無理な場所ですね」と。そうですよね。
「早々に手術を勧めますが、どうしますか?」と聞かれ、
「早いことやっちゃってください」と答える私。
不安な体で過ごすより、バッサリぱっくり切って治して欲しい。
先生たちが退室し夫と談笑していると、夕方から担当の若い女性看護師さんが来た。
「検査結果出たんですね」なんて話してたら急に涙が出てきた。
それまで先生たちにも夫にも笑って話して、気持ちもきっぱり決まったと思ってたのに、どんどん涙が溢れてきた。
「大丈夫?急に絶対安静なんて言われたらびっくりしちゃいますよね。手術も不安ですよね。」と背中をさすってもらうと、嗚咽が止まらなく泣き崩れてしまった。
少しして落ち着くと「また話したくなったらいつでも呼んでくださいね」と看護師さんが退室すると、夫は少し困惑していた。
私が夫以外に涙を見せたのはこの時が初めてかもしれない。
心臓カテーテル検査~2018年6月 ①~
6月半ば、2泊3日の検査入院。
初めの病院で心臓カテーテル検査を示唆されてから2か月。
検査入院スケジュール
子供が小さいことを考慮して、この入院でできる限りの検査全部やりましょう!言ってくれたので、心臓カテーテル検査の他に、造影CT・心エコー・レントゲン・心電図と結構予定ぎっちり!
初日に心カテ以外の検査をし、2日目にメインの心カテ、というスケジュール。
入院初日
今回は個室を希望していたので循環器病棟の個室に入院。
30代前半のノリのいい男性看護師Sさんが「ども~!担当です!」と明るく入室。
ほどなくして、これまた30代前半の話しやすい循環器内科医T先生が「担当医です」と挨拶に来てくれた。持ってきたPCの画面がドラムだったのでつい「ドラム!?」と突っ込んでしまった。T先生は元バンドマンだそう。我が夫婦もバンドをしていたので、勝手に親近感を覚え緊張がほぐれた。
T先生が私の首元を触診して「鼠蹊部じゃなく首からカテーテル入れられますね。手首と首からにしましょう。」と言ってくれた。
心カテの体験談などで、鼠蹊部からカテーテルを入れるとその後半日は止血のためベット安静で動けなくつらい、と読んでいたのでとても憂鬱だったが、首と手首からなら検査後すぐに立って歩けるとのこと。
良かった!!!かなり気分が軽くなった!
午後からレントゲン、心電図、造影CT。
造影CTは初めてだったが、造影剤が入ってくると突然体の中心がカッと熱くなるのがとても変な感じ。30分ほどで検査終わったが、あまり好きな検査ではないな、という感想(好きな検査なんてないんだけど)。
最後に詳しく心エコー。
夕方、ちょっと疲れて病室に戻ると、なんだか痒い。蕁麻疹のようなものが出ていた。
S看護師に言うと、T先生から「造影剤のアレルギーかも」とのことで、急きょ点滴。
入院2日目(心カテ検査日)
朝9時から、とうとう心カテ検査。
S看護師が、カテーテルを入れる手首と首元に麻酔のテープを張ってくれた。
「これ、優しさのテープ(^_-)」と笑いながらカテ室へ。
手術室のような部屋に、手術着のような服とゴーグル・マスク・帽子と全身武装のスタッフさんがたくさん待ち構えていたので、一気に緊張が高まる。
高い検査用ベットに寝かせられる。
T先生が「ちょっとうとうとする点滴入れますね。麻酔が終われば痛くないからね。」と言って点滴が開始。
うとうと、、、しないけど?
と思ってたら手首に局部麻酔の注射!痛い!優しさのテープ全然効いてない!!!
何度もブスブス刺されて、力づくで何かを入れられてる感じがする。そして、カテーテルが腕を通っていくのが分かる。ズーンと鈍い、重い、何かに内側から圧迫されている感じ。麻酔終わっても痛いじゃないか( ノД`)
「息止めて」と何度か言われ、息を止めたりはいたり。
途中急に心臓が早くドキドキと動かされたり、造影剤入れられて体がカッとなったり。
半泣き状態で、早く終われ早く終われと祈るばかり。
首元からも同様。ブスブスと刺される麻酔と力づくで入れられる感触。だいぶひどい顔をしていたのか、「ごめんね、しんどいのこれで終わりだから。」との声。
でも、カテが入ってからもやはりしんどいよ。
1時間半で検査終了。
まったくうとうとなんてできなかった。もう2度とやりたくない。
検査後のT先生の検査着には血がバーッとついていて、私の血なのか、と思うとまた怖くなった。
医大病院へ~2018年5月~
小児科の主治医に「転居先の県の医大病院に、成人先天性心疾患の権威がいる」と聞いていたので、そこで治療を受けることにした。
初めにかかった総合病院にそのことを伝えると、快く医大の予約を取ってくれ、検査結果を渡してくれた。
医大病院には成人先天性心疾患専門外来があった。
私はここで初めて「成人先天性心疾患」という言葉を知った。
そうか。私のように、大人になった先天性心疾患者はそう呼ばれるのか。
医大病院の主治医は40代前半男性。
外科手術が必要になるかも、という話を、とても丁寧に分かりやすく、深刻になりすぎずに話してくれた。
先天性心疾患で生まれた人は、そもそも健康な人とは違った造りの心臓や血管であることが多いこと。
だから、通常の心臓外科医では見慣れない心臓・血管等のことがあり、治療が難しくなること。
手術を受け大人になれるようになったのは、ほんの4~50年前のこと。
私の場合、大動脈弁付近の狭窄と僧帽弁に閉鎖不全が疑われ、
それは手術で直した心臓に30年かけて少しずつ負荷がかかって出てきた症状かもしれないこと。
人工弁置換が必要かもしれないこと、など。
全てとても納得できた。
そして、少しずつ「2度目の手術」が自分の中で現実となってきた。
まずは近々心臓カテーテル検査を受けることに。
実家の母に来てもらい、息子は母と夫で見てもらうことに。
当時まだ授乳していたが、その後手術のことなども考え、断乳することにした。
この検査入院までが、一番悩んで苦しい日々だった。
どこで治療するか
まず頭をよぎったのは当時もうすぐ2歳になる息子のこと。
日中私が一人で見ていたので、私が入院などとなったら誰が見るのか。
引越し前は実家まで車で1時間弱だったので、すぐに母に協力を求められた。
しかし、ここは新幹線で半日かかる距離。気軽に助けを求められる距離ではない。
引越したばかりで知人も友達もいない。
息子をどうするかの不安の中で、たまに顔を出す心臓への不安。
ちょうどGWの帰省時期だったので、今までお世話になっていた主治医に相談することにした。
かすかに「数値はよくないけど大丈夫ですよ」なんて言ってくるんじゃないか、と希望を持って。
当時私の主治医は小児循環器科の優しいドクター。
転院先で言われた事を伝えると、
「私も心カテの事など示唆したことあったけど、お子さん生れたばかりだし、まめにエコーで様子を見て時期を考えてた。もっとはっきり伝えとけば良かったね。ごめんね。」
と。
確かに、妊娠後から定期健診の間隔がいやに短くなっていた。しかし、妊娠出産の影響を考えてそうしてくれているんだと思っていた。
子育てと身体どちらも考えて対応してくれてたドクターの優しさに、張り詰めてた気持ちが溢れて涙が止まらなくなった。
「検査は『手術は必要か』ではなく『どう手術するか』という検査になるだろう。そこから手術までの流れは早いから、覚悟しておいた方がいい。」
優しくもキッパリ告げられた。
なぜ今なんだろう。
引越したばかり。息子は2歳。
身動き取れない。頼る人もいない。
引越し前なら、親や友人が近くにいる。頼ることも泣きつくことも出来る。
なのに、なぜ、引越した矢先こんな事に。
考えてもしょうがないのに、
なぜ今?ばかり考えていた。
でも、立ち止まっても居られない。
地元か転居先、どちらで治療するのが息子と私(そしてもちろん夫も)にとって一番良いのか。
悩んで悩んで、悩み抜いて、転居先で治療を受けることにした。
理由はやはり息子の事。
地元で治療し息子と実家に帰ると、私の入院中は両親とまるきり離れてしまう。
2歳の息子に寂しい思いをさせたくない。
それに、手術をしたとして、その後どの位で子育てに復帰出来るか分からない。
今後保育園を使う事を考えると、住所のある場所で治療した方が良いだろう。
誰も知り合いのいない土地で、治療して行くことに決めた。
怪しい兆し~2018年4月~
転勤で転院
夫の突然の転勤に着いて行くことになり、35年通い続けた病院を離れることになった。
私は先天性心室中隔欠損症という病気で3歳の時に手術をしている。その後は激しい運動は禁止されていたものの、普通に学校に通い、就職し、結婚し、出産し、と、いたって普通そのものの生活を送っていた。
その間、年に1度の定期健診(心電図・レントゲン・心エコー)は受けていたが、「変わりないですね。じゃ、また来年」と言われるだけだった。いや、のちに思い返すとそれだけではなかったのだが。
引越し先の近所に総合病院があったので、まずはそこを受診した。
「先天性心疾患の術後フォロー希望」と伝えると循環器内科へ。いつも通り心電図・レントゲン・心エコーを受け「じゃぁ1年ごとの検診で」と言われるものと疑っていなかった。
診察室に入ると開口一番に「心エコーで数値の異常が見られるから、カテーテル検査しましょう。入院になるけど、すぐできる?」と言われた。
え?検査?入院??
まさに青天の霹靂。状況が全く飲み込めなかった。
半分ぼやけた頭で「1歳の子供がいるから少し考えます」と伝え、2週間後にもう一度受診することになった。